息の跡

ひとりのたね屋が綴った、彼の町の物語

いまは、もういない誰かへ、まだいない誰かのために

 岩手県陸前高田市。荒涼とした大地に、ぽつんとたたずむ一軒の種苗店「佐藤たね屋」。津波で自宅兼店舗を流された佐藤貞一さんは、その跡地に自力でプレハブを建て、営業を再開した。なにやらあやしげな手描きの看板に、瓦礫でつくった苗木のカート、山の落ち葉や鶏糞をまぜた苗床の土。水は、手掘りした井戸からポンプで汲みあげる。
 いっぽうで佐藤さんは、みずからの体験を独習した英語で綴り、自費出版していた。タイトルは「The Seed of Hope in the Heart」。その一節を朗々と読みあげる佐藤さんの声は、まるで壮大なファンタジー映画の語り部のように響く。さらに中国語やスペイン語での執筆にも挑戦する姿は、ロビンソン・クルーソーのようにも、ドン・キホーテのようにもみえる。彼は、なぜ不自由な外国語で書き続けるのか? そこには何が書かれているのだろうか?


ふわりとした、けれど、確かなまなざし
まるで、生まれたばかりの映画のように

 監督は、映像作家の小森はるか(『the place named』、『波のした、土のうえ』※瀬尾夏美との共同制作)。震災のあと、画家で作家の瀬尾夏美とともに東京をはなれ、陸前高田でくらしはじめた彼女は、刻一刻とかわる町の風景と、そこで出会った人びとの営みを記録してきた。失ったものと残されたもの。かつてあったものと、これから消えてゆくもの。記憶と記録のあわい。そのかすかな痕跡とぬくもりを彼女はうつしだしていく。あの大きな出来事のあとで、映画に何ができたのか。そのひとつの答えがここにある。


登場人物紹介

佐藤貞一さん

1955年岩手県陸前高田市生まれ。地元の高田高校を卒業後、農産加工会社に勤務。2000年に独立し、陸前高田市に種苗店「佐藤種苗」を開業する。東日本大震災による津波で自宅兼店舗、温室などを流されたが、その跡地に自力でプレハブを建て、2011年8月に営業を再開、店名を「佐藤たね屋」と優しく響く名に改名した。種苗販売のかたわら、津波の経験とその後の生活、また陸前高田の歴史や文化などを独習した外国語で書き続けている。