息の跡

2011年に起きた震災の後、大学の同級生である瀬尾夏美とともにボランティアとして訪れたことをきっかけに、縁もゆかりもなかった東北の地へ毎月通うようになりました。沿岸地域を往復する中で出会った人々の言葉に後押しされて、ビデオカメラを手にしていたわたしは、記録する者としてこの土地と、人々に関わりたいという思いを持ち始めました。2012年の春、瀬尾とふたりで岩手県陸前高田市のとなり町に引っ越しました。

まだ移り住んで間もない頃、英語で手記を綴っている人がいると地元の方が教えてくださり、佐藤貞一さんと出会いました。あたりには建物一つない津波を受けたこの場所で、毎日苗を育て、種を売り、前向きな振る舞いで営業を続けている。店に誰もいなくなると、あの日ここで起きたことを、繰り返し考察し、英語で記述し朗読をする。その営みの細部を知りたくて、また佐藤さんの生きる姿から「表現」について考えたくて、翌2013年1月からお願いして記録を始めました。

「佐藤たね屋」には、毎日手をかけることで成長していく野菜の苗や花々があり、窓の外には、津波の跡を緑色に覆った植物たちがありました。そして彼らが震災後のこの地でどうやって生きているかを見続け、手記に書きとどめていました。「緑が萌えると人は勇気づくでしょ。慰められるんだよ。だからたね屋は前向きでいられるのかもね。」と佐藤さんは笑っていました。でもこの緑は、たくさんの人が流した涙を吸って芽吹いた命の色だと思うよ、と優しく付け足しました。津波によって失ったものも、まちの人々が抱えた悲しみも、佐藤さんはたね屋の目線で見ることに徹底していました。わたしは、英語で震災の手記を書く人ではなく、「たね屋」としての佐藤さんを記録したいと思うようになりました。

制作を始めた頃から支えてくれた仙台の仲間にも、再編集から一緒に作品のあるべき姿を導き出してくれたスタッフのみなさんにも、いつもあたたかく接してくださる陸前高田のみなさんにも感謝の気持ちでいっぱいです。個人で記録をはじめたときには想像もしなかった映画館という舞台にまで運んでもらえて、恵まれすぎているような気さえしますが、こんな機会がなければ出会えなかった観てくださる方々へ、映画の行く先を託すような気持ちで完成を迎えました。各地の劇場でたくさんの出会いが芽生えることを期待しながら、この作品とともに歩んでいきたいと思います。どうか足をお運びいただければ幸いです。

小森はるか